道をひらく 松下幸之助著
身につまされる
一つのことを聞いても、一つのことを見ても、わが身につまされる思いがあったなら、その見たり聞いたりしたことが、そくそくとわが身にせまってきて、いろいろさまざまの感慨が生み出されてくる。
身につまされてもらい泣きというけれど、つまりは人の世の喜びも、悲しみも、その味わいも、身につまされた思いのなかで、無限に深まりゆくのである。
だだ事なかれの日々をすごして、生命をかけて打ちこむほどの思いも体験もなく、従って何を見ても聞いても身につまされず。何もが他人事で、何もかもわれ関せず。それも一つの生き方ではあろうけれど、見方によってはまことに味わいうすき人生とも言えるであろう。
人間にとって、人生を歩む上において、身につまされるということは、やはり大事である。そしてこれは何も個人の身上のことだけではない。身につまされる思いで、おたがいのまわりを、もう一度よく見まわしたい。
おたがいのこの国日本のことも、わが身につまされる思いで、もう一度よくよく考えてみたい。反省してみたい。
今日は「身につまされる」です。
人間力をつけるには、この「身につまされる」と言う感覚である、全てを自分の事のように受け止める感受性は大事ではないかと思います。
全てを他人事のように受け止めて知らない顔をして生きるのか?全てを自分の事のように受け止めて考えるのかによって自身の成長に大きな違いがあるように思います。会社の数字、お客様の数字やお客様の声。これら全てを自分の事のように受け止めるからこそ信頼される営業マンになれるのだと思います。
本当に自分の家族や兄弟にはこれができて、他人様のことはできないのか?その差は、この「身につまされる」と言う気持ちをなくしてしまってるからのように思われます。
それでは自身の成長や自身の社会的貢献は全くなく、何のために生まれてきたかの価値すら無くしてしまいます。相手のことを心の中心におき、この身につまされると言う心を養うことが日本人として忘れかけていることのように思います。