妄心もしおこらば、、、
妄心もしおこらば、知って、随(したが)うことなかれ。
心に妄想が湧き起こったら、どうしてそれが起こったのかを知り、その妄想に負けて従ってはいけない。
過(と)がを許して新たならしむる、、、
過(と)がを許して新たならしむるこれを寛大といい、罪を宥(なだ)めて臓を納(い)る、これを含弘(がんこう)と称す。
※【含弘】がんこう。心が広大であること。
過ちを罰するのは当然だが、許して更生させる寛大さも必要。
水外(すいげ)に波なし、、、
水外(すいげ)に波なし、心内(しんない)すなわち境なり。
水を離れて波はなし。波は水が変化してできた姿。水と波を分けて見るのは私たちの心である。同じように、迷ったり悟ったりするのは、私たちの心の中で起こっている。
己有(こう)を識(し)らず、、、
己有(こう)を識(し)らず、貧(ひん)これに過ぎたるはなし。
自分の心の奥にすでに仏と同じものがあるのに、それに気づかないでいる。人間にとってこれほど貧しさはない。
一切衆生(いっさいしゅうじょう)は、、、
一切衆生(いっさいしゅうじょう)は無上菩提の法器にあらざることなし。
全ての人は仏様と同じ心を持つ。誰でも心の中に器があって、悟りを入れたり、安らぎの心を入れたりすることができる。
高けれども奢らず、、、
高けれども奢らず、損をすれども盈(えい)を招く。
※盈(えい)とは=1. みちる、みたす、あふれる。 2. みちたりる、おおい。
高い立場にあっても傲慢になってはいけません。たとえ損をしても、相手に誠心誠意せっすれば、自分自身の心は満たされる。
迷悟己(めいごおのれ)にあり、、、
迷悟己(めいごおのれ)にあり、執(しつ)なくして到(いた)る。
迷いも悟りも自分の心の中にある。迷いの原因となる自分のとらわれを捨てれば、悟りの世界に到ることができる。
君子は己を責め、、、
君子は己を責め、小人は人を責む。
徳のある人は自分の不徳を反省し、徳のない人は他人のあら探しをして責める。
尊(そん)もしくは卑(ひ)、、、
尊(そん)もしくは卑(ひ)、虚しく往(ゆき)て満ちて帰る。
上流の人も庶民も、(恵果阿闍梨のところへ)虚しい気持ちで出かけても、充実した心で帰ってくることができる。
妙薬箱に盈(み)てども、
妙薬箱に盈(み)てども、嘗(な)めずして益なし。
たとえ妙薬が箱いっぱいにあっても、嘗めなければ何の役にも立たない。同じこととして、どんなに素晴らしい教えでも、実践しなければ何の役にも立たない。