道をひらく 真剣に叱られる

道をひらく 松下幸之助著

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真剣に叱られる

 おたがい人間、叱られるということは、あまり気持ちの良いものではない。
自分に非があったと認めていても、叱られるということはやはり嫌である。
だから、叱られるよりも叱られないほうを好みがちで、これは一つの人情である。
また叱るほうにしても、あまり気持ちのよいものではない。
うれしい思いはしない。
だからできれば叱らないにこしたことはないわけで、これもまた一つの人情といえよう。
しかし、人情と人情とがからみ合って、まあまあのウヤムヤにし、叱りもしなければ叱られもしないということになったらどうなるか。
神さまならいざ知らず、おたがいに人間である。
知らず知らずのうちに、ものの見方考え方が甘くなり
そこの弱さと、もろさが生まれてくることになる。
もちろん、私情にかられてのそれはいけないけれども、ものの道理について真剣に叱る
また真剣に叱られるということは、人情を越えた人間としての一つの大事なつとめではあるまいか。
叱られてこそ人間の真の値打ちが出てくるのである。
叱り、叱られることにも、おたがいに真剣でありたい。

今日は「真剣に叱られる」です。叱るのも叱られるのも嫌なことです。
しかし、職場はある意味真剣勝負の場です。
時には同僚であっても、上司部下であっても、真剣なればこそ叱ることもあります。
相手の事を考えれば考えるほど、間違っているときは真剣に叱らなければならないこともあります。
しかし、叱った後はお互いに遺恨を残すのではなく、考え方や行動を正してこそ、真剣に叱ってくれた人に対する叱られた側の誠意ではないかとも思います。
叱ってくれて「ありがとう」と、思える職場って素敵だと思いますね!!

松下幸之助 仕事には哲学をもて

会社の願いを訴える

 我が社の広告宣伝は、我が社の製品をお知らせすると同時に、我が社がもっている人生観、社会観を世に浸透させていくことを、その目的として行ってきたのであります。ただ製品を一般に普及させるにとどまらず、真心からの希望を訴えることを併せて行いたいと思うわけであります。(昭和26年6月1日・松下電器社員への講和)

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