道をひらく 松下幸之助著
懸命な思い
人生は淡々たる大道を行くが如しという人もあれば、嶺あり谷あり起伏の連続、という人もある。
いずれが真実か見る人によってそれはさまざまであろう。
しかしおたがいに、まずは坦々たる大道とはいいかねるこの日々ではなかろうか。
峠を越えればまた峠がある。
仰ぎ見つつ息つく間もなく、また登り始める。
つまりこれが人生なりとの諦念も、そこにおのずからわいてくるような日々である。
しかし、もしこれを神のような立場から見たならばどうなるか。
おたがいに起伏の連続と見ているこの人生も、実はそれは起伏でも何でもないのであって、
淡々たる大道ではないかということになるかもしれない。
つまり、淡々たる大道として与えられているこの人生を、わが心至らず、わが心眼ひらかざるために、
嶺あり谷ありと観じているのかもしれないのである。
いつの日か、この真実が見きわめられるであろう。
けれども、今はただおたがいに、懸命にわが道を歩むほかにであろう。
懸命な思いこそ、起伏があろうと、淡々としていようと、ともかく我が道を照らす大事な灯なのである。
今日は「懸命な思い」です。
人生は色々な局面があります。
大海原のように見渡しがよく静かな海の時もあれば、台風の時の波風がたって立っていることさえ難しい時があります。
どんな局面であれ、大事なことは何かというと自分の足元をよく見るということです。
平坦な道のりであろうが、険しい道のりであろうが一歩一歩はそれほど変わるものではありません。あまり遠くを見過ぎても見えないことが沢山あります。
起伏があればなおさら先が見えません。
禅の言葉に脚下照顧(きゃっかしょうこ)という言葉があるのですが、これは暗闇に遭遇した時に、師匠が弟子に尋ねた時に弟子が師匠に言った言葉なのですが、意味は「足元を見よ」という言葉です。
人生の暗闇に迷った時は、暗くても見える足元を見なさいと言うことです。
平坦であろうが、起伏があろうが一歩には変わりないのです。
迷った時や先が見えない時には焦らず足元をみて、懸命な思いで一歩を踏み出す事がとても大事なことはなのだと教えてくれていると思います。
目標が上手く行かない時や、仕事が上手く行かない時などは焦らず、ただし懸命な思いを持って近くのものをみることも大事なんだと思います。
(2024年3月加筆)徳川家康の「人の一生は、重き荷物を背負いて遠く道をゆくが如し、急ぐべからず」を思い出す一節ではないでしょうか?淡々と責任という重き荷物を背負いつつ懸命に我が道をゆくことが大事なのです。一歩一歩力強く!!
松下幸之助 仕事には哲学をもて
長所を見て使う
短所は苦にしない、長所だけ、特色だけを見て使う。そうむずかしいことじゃありませんよ。それだけのことで、人が育つか育たんかと言うことが決まるんです。(「30億」昭和五十一年四月号)