道をひらく 松下幸之助著
おろそかにしない
人から何かを命ぜられる。
その命ぜられたそのことをその通りにキチンとやる。
そこまではよいけれど、そのやった結果を、命じた人にキチンと報告するかどうか。
命ぜられたとおりにやって、そのとおりうまくいったのだから、もうそれでよいと考える人。
いやたとえ命のままにやったとしても、その結果は一応キチンと報告しなければならない、
そうしたら命じた人は安心するだろうと考える人。
その何でもない心がけ、ちょっとした心のくばり方のちがいから、両者の間に、信頼感にたいする大きな開きができてくる。
仕事には知恵も大事、才能も大事。
しかし、もっと大事なことは、些細(ささい)と思われること、
平凡と思われることも、おろそかにしない心がけである。
むつかしいことはできても、平凡なことはできないというのは、本当の仕事をする姿ではない。
些細なこと、平凡なこと、それを積み重ね積み重ねきて、そのうえに自分の知恵と体験を加えていく。
それではじめて、あぶなげのない信頼感が得られるというものであろう。
賽(さい)の河原の小石はくずれても、仕事の小石はくずれない。
今日は「おろそかにしない」です。
今日の話は営業マンにとってまた社会人にとってとても大事な行動(報連相)です。
仕事の指示をされた時に、正しくやるのは当然です。
しかしその後の行動は2パターンに分かれます。
ひとつはやったのだからそれで終わりとするタイプの人です。
もうひとつは、終わったことを相手に伝えてあげようとする心を持っているタイプの人です。これは上司やお得意先様から見ると仕事の心遣いができるか出来ないかの大きな差として映ります。
会社の中でもこれができる人と出来ない人がいてます。
しかし営業マンたるものは、出来なければ絶対にダメです。
営業マンは信頼されてなんぼの商売です。
毎日の少しづつの信頼の積み重ねが必要となる職種です。
従って、相手への思いやりもしくは相手を中心に考える行動が必要になるのです。
仕事が完了したかどうかは報告がなければ相手はいちいち聞かないとわかりません。
これを理解し心遣いがある方は、必ず完了報告を持ってその仕事の完了とすることを習慣づけています。相手にとってこれ以上信頼に値する行動はないのではないかと思います。
よく言う言葉に「ボールは必ず投げ返して終わりなさい」と言っています。
投げられたボールすなわち投げられた仕事は、やっただけではボールは自分が持ったままなんです。
完了報告をしてこそボールを投げ返したことになり、自分にはもうボールはないと言う状態になります。一流と二流の違いはこうした相手への少しの心遣いではないかとおもいます。
賽の河原とは
文中の「賽の河原」とは、仏教から来た言葉がある。 親よりも先に亡くなった子供は、冥土の三途の河原で父母供養のために石を拾って積み上げ、石塔を作る。 完成する直前に鬼が来て、苦労して積んだ石塔を崩してしまう話である。 転じて、報われない努力を続けることを「賽の河原の石積み」と表現するようになった
松下幸之助 仕事には哲学をもて
発明のヒントはどこにでもある
このごろは、発明のヒントはむしろ素人にあるかもしれんですな。私も、よく研究部員に、「同僚とばかり話おうててはいかん。街頭へ出て行ってヒントを得てこい」と、こう言うとるんです。ヒントはどんなところにでもあるんですけれども、それをヒントと見るかどうか、ということですな。(「文藝春秋」昭和四十三年十二月号・松本清張氏との対談)