道をひらく 松下幸之助著
わが身につながる
何でもかんでも、わるいことはすべて他人(ひと)のせいにしてしまったら、これほど気楽なことはないだろう。すべて責任は相手にあり、都合のわるいことは知らぬ存ぜぬである。
だがしかし、みんながみんなこんな態度で、責任の押しつけ合いをしていたならば、この世の中、はたしてどうなることか。
理屈はどうにでもたてられる。責任をのがれ理屈は無数にあろう。また法律上は、無関係、責任なしということもあり得ることである。
しかしこれは理屈や法律だけのこと。人と人とが相寄って暮らしているこの世の中、どんなことに対しても、自分は全く無関係、自分は全く無責任――そんなことはあり得ない。一見何の関係もなさそうなことでも、まわりまわってわが身につながる。つながるかぎり、それぞれに深い自己反省と強い責任感が生まれなければならないであろう。
すべてを他人のせいにしてしまいたいのは、人情の常ではあろうけれども、それは実は勇気なき姿である。心弱き姿である。そんな人びとばかりの社会には、自他ともの真の繁栄も真の平和も生まれない。おたがいに一人前の社会人として、責任を知る深い反省心と大きな勇気を持ちたい。
今日は「わが身につながる」です。
以前一度書いているのですが、「つまづいて石のせいにするな」と同じようなことですが、どんな争いが起こっても100対0で相手が悪い、もしくはこちらが悪いということは世の中にはないのではないかという心構えは必要なんだと思います。
そういった心構えがないと何事が起こっても反省という行為を避けて通ろうとしてしまいます。「自分は絶対に悪くない」そう思いたいのも人情のような気がしますが、そう思うことで人としての成長を自ら止めてしまうのだと思います。
100対0はない!
この観点からは、私には無関係という考え方は存在しません。ゆえに、常に深い自己反省が可能になり、強い責任感が生まれてくるのだと思います。親兄弟、仲の良い親友、恋人、お客様、それぞれ関わる中で問題が起きることでしょう!そんな時には少し立ち止まって、今日の話を思い出してください。絶対に100対0ではなく、自分にも非があるのだと思えるようになれば、立派な社会人としての大きな成長がそこにあるのだと思います。
松下幸之助 仕事には哲学をもて
人の組み合わせによろしきを得る
人にはそれぞれ長所短所がある。だからその長短補い合うような組み合わせをすれば、それによってどちらもより生きてくるだろう。また、そのようにはっきりしたものでなく、何んとなくウマが合わないと言った微妙な問題もある。もちろん、そういうものはそれぞれが努力してある程度は解消していくことが望ましいが、やはり人の組み合わせよろしきを得て、それを無くしていくということが大切であろう。( 「指導者の条件」〈PHP研究所〉昭和五十年十二月)