道をひらく 松下幸之助著
紙一重
天才と狂人とは、紙一重というが、その紙一重のちがいから、何という大きなへだたりが生まれてくることであろう。
たかが紙一重と絡んじてはいけない。そのわずかのちがいから、天才と狂人ほどの大きなへだたりが生まれてくるのである。人間の賢さと愚かさについても、これと同じことがいえるのではなかろうか。
賢と愚とは非常なへだたりであるしかしそれは紙一重の違いから生まれてくる。
すなわち、ちょっとしたもの見方のちがいから、えらい人と愚かな人との別が生まれてくるのである。
どんなに見ようと、人それぞれの勝手である。
だからどんな見方をしようとかまわないようではあるけれど、紙一重のものの見方のちがいから、賢と愚、成功と失敗、反映と貧困の別が生まれてくるであるから、やはりいいかげんに、ものの見方をきめるわけにはゆくまい。
考えてみれば、おたがいの生活は、すべて紙一重のちがいによって、大きく左右されているのではなかろうか。
だからこの紙一重のところをつかむのが大切なのであるが、これにはただ一つ、素直な心になることである。
素直に見るか見ないかが、ここに紙一重の鍵がひそんでいる。
今日は「紙一重」です。
天才と狂人、賢者と愚者、これは大きく違うようであるが実は紙一重の物の考え方や捉え方の差なんだと言っています。物事の考え方や捉え方は出発点です。出発点が少しずれる、または少し違うだけで結果は全く違うものになるわけです。最初の出発の角度が1度の違いは10センチ先では数ミリの場所の違いにしかなりませんが、しかし1キロメートル先では数メートル(正確には17.5メートルの差)も行き先が違うことになります。人生や仕事もこれと同じで最初の考え方の差は将来大きな差となって開いてしまうことでしょう!
私がよく言うマザーテレサの言葉
考え方に気をつけよう、それはいずれ言葉になるから
言葉に気をつけよう、それはいずれ行動になるから
行動に気をつけよう、それはいずれ習慣になるから
習慣に気をつけよう、それはいずれ性格になるから
性格に気をつけよう、それはいずれ運命になるから
考え方の出発点のちょっとした違いはいずれ
運命という大きな差になって返って来ます。
その考え方で一番大事なポイントが素直なこころなんだと思います。素直な心を手に入れることが、考え方の出発点を正しく補正してくれる物差しではないのかと改めて思う次第です。
素直な心(素直に物事を見る)を手に入れる方法として、このブログでは「7つの習慣」「言葉は夢をつかむにゃん」について書いたり、私自身は「坐禅をくみ」禅語の勉強をしていることが多いです。
松下幸之助 仕事には哲学をもて
寛厳(かんげん)よろしきを得る
昔からいいますわな、「人を教えるには、寛厳でなくてはならない。厳しさが50パーセント、寛容が50パーセントだ」というふうに。けど、私はそうは考えないんです。寛と厳が半々なら、ありきたりです。厳しさが10パーセント、寛容が90パーセントがよい。寛容な人がいない企業というのは、絶対にダメです。しかし、寛容であるためには、一の厳しさが十の厳しさにならないといかんのです。企業のトップというのは、一の訓戒で”寛厳よろしきを得る”というふうでないといけません。