道をひらく 松下幸之助著
転んでも
「七転び八起き」ということわざがある。
何度失敗しても、これに屈せずふるい立つ姿をいったものである。
人生は長い。世の中はひろい。だから失敗もする。悲観もする。そんなとき、このことわざはありがたい。
だが、七度転んでも八度目に起きればよい、など呑気に考えるならば、これはいささか愚である。
一度転んで気がつかなければ、七度転んでも同じこと。一度で気のつく人間になりたい。
そのためには「転んでもただ起きぬ」心がまえが大切。このことわざは、意地汚いことの代名詞のように使われているが、先哲緒聖(せんてつしょせい)の中で、転んでそこに悟りをひらいた人は数多くある。
転んでもただ起きなかったのである。意地きたないのではない。真剣だったのである。
失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたほうがいい、たとえ失敗しても、ただは起きぬだけの充分な心がまえができてくる。
おたがいに「転んでもただ起きぬ」よう真剣になりたいものである。
今日は「転んでも」です。
仕事や人生には失敗はつきものです。
いや、逆に失敗することの方が、失敗した人間こそ成長するものだと思います。
ただ、同じ失敗を繰り返すようではプロの社会人としてはいささか問題があるでしょう。
では、失敗した時(転んだ時)にはどうすればいいのかと言うことですが、もちろん七転び八起きと言う諺からすると何度でも立ち上がってくればいいと言うことになるわけですが、ただ起き上がるだけではダメなんだと思います。
立ち上がる時には「転んだ手で何かをつかんで立ち上がれ」とこの諺は言っているのだと肝に銘じておくべきです。小さな色々な失敗は大いに勉強になります。
ただし、それが身につくようになるにはやはり立ち上がり方なんだと思います。
失敗を繰り返し、転んだ回数立ち上がる時に手につかんで起き上がって来たものを自分の経験とし、部門のナレッジとすることが社会人(組織人)として必要な心構えなんだと思います。
失敗を恥とするのではなく、失敗から何も学ばないことを恥としてください。
松下幸之助 仕事には哲学をもて
任して任さず
「任して任さず」ということは、文字どおり”任せた”のであって、”放り出した”のじゃないんですということです。経営の最高責任者というものは、どんな場合でも、最後の責任は自分のところにあるという自覚をせんといかんものです。そういう自覚に立っているからこそ、”任せて”はいるけれど、絶えず頭の中で気になっている。自分は責任を持たないといかんと言うことで腹を括っている。そうなると、どういうふうにやっているかと言うことがいつも気になる。これがほんとうですわな。(「30億」昭和五十一年六月号)