道をひらく 松下幸之助著
世間知らず
忍耐づよく、根気よく、知識を身に着けよう・校長と先生の命令に絶対したがうべし・校長や先生が教室にはいるとき、教室を出るとき、起立して送迎すべし・先生に答えるときは起立、先生の許可あって着席すべし・校長と先生には敬意をはらい、校長や先生に道で出合ったときは礼儀正しいおじぎをせよ・年上のものを尊敬せよ・老人、幼児、弱いものに親切にていねいであれ、道や席をゆずり、あらゆる援助をせよ・親のいうことをきき、手助けをし、弟妹のめんどうをみよ…。
これはソ連の小学校、中学校で省令として公布されている「生徒守則」の一部で、この規則を破った生徒は、退学の罰を負うということである。中共においても同じような規則がつくられていたというし、欧米諸国においてもこれに似たことが説かれている。
どこの国においても、たとえ主義主張がちがっても、人間として大事なことは万国共通、人みな共通である。だからやはりどこでもだれでも大事にする。礼儀とか道徳とかいうと、何となくうとましいもののように思うわが国の昨今、おたがいに世間知らずであってはならないような気がする。
今日は「世間知らず」です。
書かれている内容は礼儀や道徳に関してです。
最近話題になっている「教育勅語」は、日本人の道徳観について書かれたものですが、現在では賛否両論あるようです。
ただ言葉の内容だけを捉えたら、礼儀や道徳を大事にしなさいということで、至極当たり前のようにも思います。親兄弟を大事にしなさいやお年寄りを大事にしなさいなどです。
毎日を礼儀正しく生き、周りの方々に感謝の気持ちで親切にするなどの道徳心はいつの時代でも大事なような気がします。
そんな生き方が自分自身の心の成長にも繋がるように思えるのは私だけでしょうか??
いい機会なので「教育勅語」を少し理解されて見てもいいかもしれませんね。賛否は別にして!
https://ja.m.wikibooks.org/wiki/教育勅語
教育勅語現代語訳全文
文部省訳 (文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』(1940年)より。明治天皇から勅語を賜った文部大臣が管轄する文部省自身による、「正式な現代語訳」とされる文章) 朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。 汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただ朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。 ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。 明治23年10月30日 明治天皇自署、御璽捺印
松下幸之助 仕事には哲学をもて
強く求めるところに人材が集まる
ただなんとなくすぐれた人材が集まってくるというようなことはまずあり得ない。
全てのものは要求のあるところに生まれてくるものであって、だから指導者に強く人を求める心があってこそ、
人材も集まってくる。(「指導者の条件」(PHP研究所)昭和50年12月)