道をひらく 松下幸之助著
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辛抱する心
どんな人が良い人で、どんな人がわるい人か、それは一概にはいえないけれど、国の法を犯す人はもちろんのこと、おたがいに良くない人だと思う人々は、浜の真砂のつきざる如く、昔も今もいっこうになくなりはしない。
万物すべてかくの如し。真善美(しんぜんび)を求めるのは、人みなの思いだが、どんなに求めても、美ならざるもの、正ならざるものは、やはりなくなりはしない。
それはいつの世にも美なるものと相交わって存在し、美醜(びしゅう)とりまぜて、それでこの自然がなりたっているのである。この世の中が動いているのである。
だからこそ、おたがいに辛抱ということが大事なのである。寛容の精神が大事なのである。
いい人もいるけども、よくないと思う人もなかなかなくならない。それが世の中というものであるならば、辛抱と寛容の心がなかったら、いたずらに心が暗くなるばかりで、この世の住みにくさを嘆くだけであろう。
人と人とが相寄って、毎日の暮らしを営み、毎日の働きをすすめているのである。
いい人ばかりではない。いろんな人がいる。だからおたがいに、いますこし辛抱と寛容の心を養いたいものである。
今日は「辛抱する心」です。 世の中にはいい人もいれば、悪い人もいます。 小さい頃に教えられた言葉に「泥棒にも三分の理」という言葉があり、どんな悪い人でもいいところを持っている例えらしいのですが、 お客様にもいいお客様も悪いお客様も時にはいてるでしょう。 色々なお客様と接し、ただ単に自分の尺度で「良い」「悪い」だけを決めるのではなく、少しは寛容な心を持って物事を冷静に見るということも必要なのかもしれませんね。例えば慈悲の心や辛抱などで!!!
松下幸之助 仕事に哲学をもて
経営においての真実あるのみ。実質以上のことを宣伝してはならない。そもそも宣伝の許されるのは唯一の場合である。すなわり真実の姿の宣伝である。この商品はどうしても世間で使ったもらう必要がある。効果があって便利であることを早く知らせたい時には、初めて宣伝は許されるのである。決して誇張であってはならない。あくまでも正義でなければならない。
(昭和20年1月1日・松下電器経営方針発表会)