道をひらく 心配またよし

道をひらく 松下幸之助著

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心配またよし

何の心配もなく、何の憂いもなく、また何の恐れもないということになれば、この世の中はまことに安泰、きわめて結構なことであるが、実際はそうは問屋が卸さない。
人生つねに何かの心配があり、憂いがあり、恐れがある。
しかし本当は、それらのいわば人生の脅威ともいうべきものを懸命にそしてひたすらに乗り切って、刻々と事なきを得てゆくというところに、人間としての大きな生きがいをおぼえ、人生の深い味わいを感じるということが大事なのである。
この心がまえがなければ、この世の中はまことに呪(のろ)わしく、人生はただいたずらに暗黒ということになってしまう。
憂事に直面しても、これを恐れてはならない。
しりごみしてはならない。〝心配またよし〟である。
心配や憂いは新しくものを考え出す一つの転機ではないか、そう思い直して、正々堂々とこれと取り組む。力をしぼる。知恵をしぼる。
するとそこから必ず、思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのである。
新しい道がひらけてくるのである。まことに不思議なことだが、この不思議さがあればこそ、人の世の味わいは限りもなく深いといえよう。

今日は「心配またよし」です。
生活をしていく上において、何の心配事もないと言うのが1番なのでしょう!
しかし、そんな人生は滅多にあるものではありません。人間何がしかの心配事や不安を抱え行きています
要はそのような憂事(ゆうじ)に出会った時に、心配事もまた良しと思える心が必要になると思います。
山よりでかい獅子は出ぬ!です。
命まで取られるような大きな出来事は滅多になく、どんと構えて心配事を楽しむ心が必要なんだと思います。
ピンチの後には必ずチャンスが来ます!
朝が来ない夜はない!
気持ちひとつで人生の捉え方が大きく変わります。是非思い悩むのではなく、前に向いて知恵を絞って前進できる自分を作ってください。

松下幸之助 仕事には哲学をもて

運の強い人を選ぶ

 運のない人は、死なんでもいいときに死んでみたりする。なんぼ追いつめられても、徳川家康のように流れダマがそれて死なん人もいる。人為ではどうしようもない。
持って生まれたものである。
もくは、二人のうち一人を雇うとする場合、学力、人格に甲乙つけがたいときには、履歴書などを参考にして、
運の強い人を選びますな。会社にも運が向いてくるわけですよ。(「中日新聞」昭和48年10月16日)

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