道をひらく 松下幸之助著
窮屈はいけない
窮屈な場所に窮屈にすわっていると、
血の巡りも悪くなって脚も痺れる。
身体が固くなって自由な動作がとれないのである。
無作法は困るけれど、窮屈はなおいけない。
やっぱり伸び伸びとした自由自在な姿が欲しいものである。
どんな場合でも、窮屈はいけない。
身体を窮屈にするのもいけないが、心が窮屈になるのはなおいけない。
心の働きが鈍くなって、よい知恵が出てこないのである。
ものには見方がいろいろあって、一つの見方がいつも必ずしもいちばん正しいとはかぎらない。
時と場合に応じて自在に変えねばならぬ。
心が窮屈ではこの自由自在を失う。
だからいつまでも一つに執して、われとわが身をしばってしまう。
身動きならない。そんなところに発展が生まれようはずはない。
万物は日に新たである。刻々と変わってゆく。
きょうは、もはや昨日の姿ではない。
だからわれわれも、きょうの新しいものの見方を生み出してゆかねばならない。
おたがいに窮屈を避け、伸び伸びとした心で。
今日は「窮屈はいけない」です。
今年になって皆さんもご存知の通り、毎朝座禅を組んで禅語を書いて読んでいます。
禅の目的は「自我を捨てること」すなわち悟りのような境地になることです。
しかし、残念ながらまだまだです。(笑)
禅語の中に「身心脱落」と言う言葉があります。
肉体も精神も一切の束縛から解き放たれた状態を言います。
体も心もやはり窮屈にさせているといい考えやアイデアが浮かんでこないと書かれていますが、その通りだと思います。
では、心を解放するためにはどうすればいいのかと考えてしまうわけですが、毎朝の習慣を変えてしまわないと難しいのかもわかりません。
朝少し早くに起きて、部屋の空気を入れ替え大きく背伸びをしたり、顔を洗って鏡を見て自分に1日の決意を呼びかけたり、毎朝の5分でも部屋の掃除をしたり、もちろん5分の座禅(椅子に座ってでもいい)で体や心や気持ちを穏やかにしたりすることが良い習慣となり、体や心を窮屈から解き放してくれるかもしれません。
松下幸之助 仕事には哲学をもて
部下を自分より偉いと思う
ぼくは、小さい規模から始めて今日の状態までになりましたが、このあいだにたくさんの人が会社へ参加してくださった。どの人を見てもぼく自身よりも偉い。ぼくはあかんなと思う人はほとんどいない、こう言うことです。
私が所主であり、社長でありましたから、「きみ、こうせい」「ああせい」と言うて言いつけもします。「そんなことしたらあかんがな」「こうしなければあかんがな」というようなことを言うて怒ったりもします。それはそういうことを言わざるをえないから言いますけれども、しかし、そうは言っているものの、この人はぼくより偉いんだ、こういうところがこういうように偉いんだと、いつもそう思うのです。そう思うことから私は、今日の私ができたのだと思うのです。多くの人の協力を得たのではないかと思うんです。(昭和四十九年一月十日・松下電器経営方針発表会)