道をひらく 松下幸之助著
見方を変える
富士山は西からでも東からでも登れる。 西の道が悪ければ東から登ればよい。
東が険しければ西から登ればよい。 道はいくつもある。
時と場合に応じて、自在に道を変えればよいのである。
1つの道に執着すれば無理が出る。無理を通そうとすると行きづまる。
動かない山を動かそうとするとするからである。
そんなときは、山はそのままに身軽に自分の身体を動かせば、またそこに新しい道がひらけてくる。 何事も行きづまれば、まず自分のものの見方を変えることである。
案外、人は無意識の中にも 1つの見方に執して、他の見方のあることを忘れがちである。
そして行きづまったと言う。行きづまらないまでも無理をしている。
貧困はこんなところから生まれる。 われわれはもっと自在でありたい。
自在にものの見方を変える心の広さを持ちたい。何事も1つに執すれば言行公正を欠く。
深刻な顔をする前に、ちょっと視野を変えてみるがよい。
それで悪ければ、また見方を変えればよい。
そのうちに、本当に正しい道がわかってくる。模索の本当の意味はここにある。
そしてこれが出来る人には、行きづまりはない。
お互いにこの気持ちで、繁栄の道を探ってみたいものである。
今日は「見方を変える」です。
普段仕事をしているとどうしても物事を見る目が偏りがちです。
富士山も群馬側と山梨側では同じ富士山でも見え方が違います。
三角すいも、見る角度によって三角に見えたり、円に見えたりします。
同じものを見ていても場所を変えると見え方が違って見えます。
データーなども同じで、同じでデーターなのに見方を変えて見ると不思議と違った考え方が出る時があります。
しかし何気なく見ているようではこの物の見方を変えることはできません。
仕事や人生に行き詰まった時、この方法を知っていると思わぬ違った答えが出る時があります。
大体においてこの見方を阻止するのが自分自身の固定観念です。
こうにちがいない!こうあるべきだ!などと言う決まった考え方を持っているとその見方の柔軟性に欠けます。
つねに行き詰まった時はゼロベースで物事を見る習慣が必要なんだと思います。
また、行き詰まったらたまには休憩し違う仕事に取り組んでいると、ふと新しいアイデアなんかが出たりするもんです。
(ただしこの時は頭の片隅にその仕事を残しておく事が必要です)あまり、深追いするのではなくたまにはさっさと仕事を切り上げ、また次の日新たな気持ちで取り組めば見方が帰れて違って見えるかもしれませんね。
松下幸之助 仕事には哲学をもて
修理のしやすさを考えての設計
設計するにあたって、万一不良の場合には取り替えやすい設計にしているかどうか。一つの物を設計するにあたって、その製品の用途というものを完全に満たすとしましても、万一不良で修理が必要という場合に、簡単にそれができると言うことをちゃんと考えているかどうか。そういうことを十分に考えた上で開発し、設計するというようなことが、非常に強く要望される時代になってきたと思うのですね。(昭和三十九年五月五日・松下電器創業記念祝賀会)